冬の冷たい風が吹き付ける海辺で、翔太はポケットに手を突っ込んだまま水平線を見つめていた。灰色の波がゆっくりと岸に寄せては返す。その動きに、自分の無力さが重なる気がした。遠くには漁船が浮かび、静かに揺れている。朝焼け前の空はまだ薄暗く、夜の名残のような深い青が広がっていたが、東の空だけがかすかに赤みを帯び始めている。
「やっぱり戻ってくるんじゃなかったかな……」と呟く声が、波音にかき消された。
翔太は都内で立ち上げたITスタートアップに全てを賭けていた。しかし、アイデアは悪くなかったものの、資金繰りの甘さや経験不足が災いし、たった3年で事業は失敗。社員や投資家の期待を裏切り、年末には会社を畳む決断を余儀なくされた。心身共に疲れ切った彼は、家族のいる故郷の漁村へと逃げ戻ってきたが、挨拶もそこそこに部屋に閉じこもり、何をするでもなく時間だけが過ぎていった。
この漁村は、彼が育った場所だった。広がる砂浜、岩場に打ち寄せる波、漁船が行き交う港の風景は幼い頃から慣れ親しんだものだ。しかし、今その風景はどこか遠く感じられる。輝きを失い、ただの背景のように思えた。
「何してるんだ、こんな寒いところで。」
背後から低く響く声がした。振り向くと、中年の漁師が焚き火を囲んで座っていた。焚き火の炎はちらちらと赤や黄色に揺らめき、その明るさが漆黒の影を砂浜に映し出していた。「寒いだろう、こっち来いよ。火ぐらい分けてやる。」
唐突な誘いに戸惑いながらも、翔太は焚き火のそばに腰を下ろした。火の暖かさがじんわりと体に染み込み、冷え切った心が少しだけ解けていくような気がした。薪がはぜる音が耳に心地よい。
「名前は?」
漁師が尋ねる。
「……翔太です。」
「翔太か、いい名前だな。俺は良太。この辺りで漁をやってる。」
良太は手に持っていた缶を掲げ、「これでも飲め」と言って翔太に手渡した。そこには「日の出ラガー」と書かれていた。
「日の出ラガー?」
翔太がラベルを見つめる。
「ああ、地元のクラフトビールだ。うまいぞ。日の出を見る時に飲むのが最高なんだ。」
良太は笑顔で言った。
翔太はひと口飲んでみた。冷たいのにどこか温かさを感じる味だった。ラベルに描かれた輝く太陽が、どこか希望を象徴しているようにも見えた。
「それで、お前は何してるんだ。正月早々、海なんか見て。」
「……まあ、色々あって。東京で仕事してたんですけど、失敗して……戻ってきたんです。」翔太は自嘲気味に笑った。
良太は焚き火をじっと見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「失敗なんて、俺だって腐るほどしてきたよ。」
「え……」翔太が顔を上げる。
良太は静かに語り始めた。
漁師としての厳しい現実、年々減少する魚、地元の活気の衰え、仲間を失った悲しみ――彼自身も何度も挫折を経験し、それでもなお諦めることなく立ち上がってきたことを話した。
「大事なのは、失敗した後にどうするかだ。何度でもやり直せばいい。それだけさ。」
その言葉を聞きながら、翔太の心に何かが芽生え始めた。東京での挫折は、自分の能力の限界を示していると感じていた。しかし、良太の話から、失敗は終わりではなく新しい始まりの一部であると思えるようになった。それでも、自分にできることがあるのだろうかという不安が胸に渦巻く。
「でも、俺に何ができるんでしょうか……」翔太はポツリと言った。
「お前、東京でITの仕事してたんだろ?だったらその頭を使えばいい。俺たち漁師にはない技術ってやつを。」
「漁師の技術とITを……」翔太はその言葉にハッとした。自分の持っているスキルと漁村の現実を結びつけるという発想は、これまで考えもしなかったことだった。漠然としていた不安の中に、一筋の光が差し込んだ気がした。
「おい、そろそろだぞ。」
良太が焚き火を少し蹴飛ばし、指差した。水平線がうっすらと赤く染まり始めていた。夜空は徐々に明るくなり、深い青から橙色へと変化していく。波打ち際の白い泡が、朝の光を反射してキラキラと輝き始めた。翔太と良太は並んで立ち、朝日を待った。やがて、空と海の境目から眩しい光が顔を出した。
「ほら、これだ。新しい始まりの合図だ。」良太が笑顔で「日の出ラガー」を掲げる。
翔太も缶を持ち上げ、「これからの新しい挑戦に……乾杯。」
二人の缶が軽く触れ合う音が、波音に溶け込んだ。翔太はその瞬間、自分が「再び挑戦できる」と確信した。過去の失敗は彼を縛るものではなく、彼自身を育む一部であると気づいたのだ。
その朝、翔太は自分のスキルを使って地元の漁業とデジタル技術を繋ぐプロジェクトを始める決意をした。水平線から昇る朝日を浴びながら飲んだ一杯のビールが、新しい未来への扉を開けてくれたのだった。
HIROSHIMA NEIGHBORLY BREWING(ヒロシマネイバリーブリューイング・通称HNB)の「広島日の出ラガー」から連想してみたショートストーリーです。
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